味噌の話
- Masumi Kimura
- 7月2日
- 読了時間: 2分
何かしらアウトプットをしたい気持ちが高まっているのに、吐き出せなくてモヤモヤする…というのは、表現者じゃなくても感じる事なんだろうか?
時々そんな衝動に駆られる。
先日最終回を迎えてしまった大好きなドラマ「続・続最後から二番目の恋」で長倉万里子が言っていたミソ帳の話がとても印象に残っている。
「ミソ帳とは、脚本家にとってのメモ帳。心動いた言葉を書き留めておくもの。その時感じた気持ちや言葉がいつの日か、味噌のように発酵して違う形となって実を結ぶようにとしたためております。」
ミソ帳とまではいかなくても、やっぱり心に留めておきたい瞬間や言葉や感情っていうのは、何かに残しておかないと…発酵や熟成というのはできないんじゃないだろうか。
日々の雑事に追われて、大事な欠片を掴み損ねてしまうというか、
瞬間瞬間一つ一つを大事にしていかないと、ボーっと生きるだけじゃ逃してしまうんじゃないか。
少なくても私の脳ミソはそれほど覚えていられないので、そんな風に思ったりする。
時々聞きますよね?出さないと入ってこないって。
アウトプットをしないとインプットはできないし、要らないものは捨てないと幸福は入ってこない。
ならばこの「アウトプットができずに感じるモヤモヤ」は転じて「インプットしたいモヤモヤ」なのか。
私がシャッターを切った瞬間瞬間が、なんでもない瞬間であっても、熟成する事につながるんだろうか。
(現にシャッターを切りたい瞬間であったのだからね)
何かを掴みに行く姿勢と、期が熟すのを待てる姿勢。
欲張りなのでどっちも欲しいなぁとぼんやり思う今日この頃。



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