

行動について考える
行動を起こすという行為は、本当は容易いことではない。 例えば、引っ込み思案な人が一歩を踏み出すこと。 歳を重ねてから何かを始めようとすること。 違う世界や違う土地でリスタートを切ること。 やりたいこととやることの差は大きいのだ。 私は昨夜考えた。 好きな音楽や撮りたい世界はたくさんあるけれど、 それを撮ろうと行動をおこさせた力って凄いと。 また、同時に思う。 その行動が続くのは、相互作用ゆえなのだと。 B.F.スキナーは言いました。 「人の行動は環境との相互作用の中で生まれる」と。 私が中尾さんを撮りたいとずっと想えるのは中尾さんだからだと思うのでした。 4月17日のワンマンライブ(良いな良いな椎名桔平って覚え方w)で、ライブハウスの壁に写真を沢山飾らせてもらおうと思っています。ぜひ会場でライブと写真をお楽しみください!
環境について考える
子供の頃からずっと母親が苦手で、30歳を超えてもずっと嫌いだったと思う。 いつ頃から許せるようになったのか覚えていないけど、今では普通に接してはいる。 2歳上の姉は、私と違って根明でおしゃべり。 私とは違うタイプのわがままで(違うタイプと表現したのは、私は子供の頃はわがままではなかったが、今では意志が強いという意味で自分もわがままなのだと自覚した)、私の意思より姉の意思のほうが尊重される傾向にあったと思う。 なにしろ母はヒステリックで、常に怒っていた。父親は母親にいつも怒鳴られていたし、私は自分の思いを発言したり、行動を起こすというのが怖くて仕方がなかった。とにかく萎縮して生きていた。 父親はというと、一緒に住んでいたのに、関わらなすぎてよく知らない。(実は何人兄弟とかも知らない) やりたいこともなかったけれど、いい子を演じていたので成績だけはよく、高校も大学も推薦入学をした。 成績がいいというのは頭が良いというのではまったくなくて、点を取る方法を知っていただけだ。 行きたい大学もなかったが、大学には行けと言われていて、しかし貧乏だったので一人暮


たぷんたぷんの話
遅ればせながら拝読しました、今回の中尾諭介センチメンタルのバカ野郎 Vol.312「千と千尋のおにぎりニック」の巻 あの日のライブが思い出されてしみじみしました。いつもなら月が変わった1日や2日になると、エッセイが更新されていないかチェックしに行っていましたが、さすがに年度末⋯仕事が忙しくてすっかり失念しておりました。 よく、ライブ終わりに自分の感情や思いを演者にきちんと伝えられる人がいたりしますが、私はまったくダメなんです。自分…不器用ですから。軽くコミュ障ですし。 いつも観てるはずの中尾さんが3割増しでかっこよかったなー!と想ったこととか、おばたさんのギターに魅了されたこととか…何一つも伝えられずに帰りましたね私。 中尾諭介&ニックバッカーズのアルバム「東京インディアン」は、2017年に買いました。(中尾さんの弾き語りに初めて行ったのが2017年3月3日でしたから)大好きな曲「東京12月」が入っていて(この曲は大野英樹さんが教えてくれたというのはここのブログでも以前書きましたね)、この曲に対する私の視点というか想いを、中尾諭介「道標50」に


最近考えている事など
心のモヤモヤを他人(ヒト)はどうやって消化しているんだろう。 友達や家族に愚痴をこぼしたり聞いてもらうことでスッキリするんでしょうか。 それでも解決しないような人間関係とか、それでも解決しないような現実とどうやって向き合うんでしょうかね。 ⋯となんだか暗い始まりになりましたが、いかがお過ごしか。 私の1月はなんだか苦しいスタートになりました。 でもきっと、マイナスなことの傍らにプラスなことは隠れていて、それを見逃しているはずですよね。 「悲観的に受け止め、楽観的に発せよ。」 なんとも難しいテーマであります。 お正月に箱根駅伝を観ましたか? 私が大好きな本の中に、三浦しをんさんの「風が強く吹いている」という小説があります。この中で、主人公の風(かける)は、本当の意味での強さについて対峙していくんです。そうして知るのです。 自分の中でモヤモヤしているものを言葉にできない走は、まるで自分のよう。 しかし強くなるためにはもっと自分を信じなくてはならない。 そう鼓舞して、今年1年は創作活動に力を注ぐことにします。 そうして2027年10月に個展を開くのです


孤独について考えた事はあるか
あんだけあった正月休みも、今日で最終日となってしまった。 やりたいこと、たくさんあったはずなのに…なんにもやってない気もする。 ノートを広げてみたら前回の 個展振り返りブログ でも触れたあの言葉が出てきた。 「幸福が現実となるのは、それを誰かと分かち合った時だ」と…。 映画「イントゥ・ザ・ワイルド」の原作の中ではこう書いてあった。 独りきりで過ごす孤独な時間は、社会や家族に貢献する気持ちを生み出し、目的に到達するために必要なステップだと思うが、孤独を過ごすこと自体が人生の答えには成り得ないと思う。 正月の箱根駅伝をテレビで見ながら考えていた。彼ら一人一人の孤独な闘いも、己に打ち勝つ必要なステップであろうが、仲間と分かち合う事で幸福が現実となっているんだろうと。 例えば何か大きな存在を喪失してしまうような孤独を感じたことはないけれど、 私はカメラマンという立場にいる時、孤独を感じることがある。 あちら側でもこちら側でもない場所で、時々何かと闘っていることもあろう。 あとあれね、将来を考えた時に漠然と感じる孤独。こんなふうにしか生きれない自分の所在に


虹色の世界になれ
中尾さんが私を人に紹介してくれるとき、カメラマンではなく「写真家」と言ってくれる。 私自身、写真を撮る人でいたいわけではなく、作品を作ったり、世界を表現したり、定期的に個展をやりたいと思っている。 そんな肩書が、最近ようやく自分の中でもしっくりくるというか、恥ずかしくないくらいになってきたなぁと思えるようになった。 私は「被写体の本当の姿」を撮りたいと思っているが、それは「技術」ではなく「在り方」 を写す写真家になるということのようだ。(最近腱鞘炎になって、自分自身と向き合う時間の中で出た答え) 「本当の姿」ってなんだろうって話になるけれども、例えば意識的に歌の表現者として魅せる表情もそうだし、それらの合間に無意識に見せる仕草や表情、素の瞬間もそうだし、ステージに立っていない時のリラックスした瞬間や、逆に緊張している瞬間・・・特に後者は、私がどう被写体と向き合うかが重要になってくる。 私はこの部分をもっと強化したいと想っています。 もっといろんな表現者の方々といろんな話ができたらいいけど… 私となにか世界を創りたい方、いらっしゃったらご連絡くださ


丸三年
いつの間にか9月1日を過ぎていた。 2022年9月1日に私が中尾諭介という人を撮り始めてから、丸三年経過したことになる。 まだ丸三年かという気もするし、もう丸三年かという気もする。(どっちかっていったら前者かな) 初回に撮ったライブ写真。初めから良く撮れてるじゃないかw...


8月5日という日
音楽は写真よりずっと力があっていいなぁと常々思っている。 たった1曲の音楽が誰かを号泣させる事はあっても、 たった1枚の写真におんなじことをできるとは思えないから。 だけど、誰かが星になってしまったとき、写真は目に見える形として、...


ギャップについて
今の若い人たちはCDを聴くプレーヤーさえ持っていないと言うじゃな~い? もちろん、私も普段はアプリ&イヤホンで音楽を聴いてるけど・・・断然CD欲しい派です! 好きなアーティストのCD買って、歌詞読んで、関わってる人チェックして、ジャケ写見て撮影している人チェックして・・・...


健康の話
夏が好きだ。 良いのか悪いのか全く汗をかかないし、むしろ冷房が寒いので、毎日カーディガンが手放せない。 汗をかけない事も代謝が悪い事もやっぱり身体に良くないし、なにしろ反り腰による下腹部ぽっこりが気になり始めたのでフォームローラーとやらを購入しストレッチをやるようになった。...